2011-01-01から1年間の記事一覧

『群像』平成10年/1998年9月号「侃侃諤諤」

『群像』の匿名コラム「侃侃諤諤」にとって、文学賞に関するゴタゴタは王道ネタである。第119回(平成10年/1998年上半期)の直木賞・芥川賞は、話題性十分の回で、他のメディアもこぞって取り上げた。当然「侃侃諤諤」でもこのあたり、笑い飛ばしてくれてい…

三浦浩・著『司馬遼太郎とそのヒーロー』所収 福田みどり「「あとがき」にかえて――赤いタバコの無言劇」

司馬遼太郎(本名・福田定一)は産経新聞の文化部で働いていた。隣の席の向かいには、のちに妻となる松見みどりが座っていた。そして、その司馬の隣の席というのが、誰あろう、のちの直木賞候補作家、三浦浩だった。三浦は司馬に関する著書を幾冊か編著、ま…

原尞著作目録

現存の直木賞受賞作家のなかで、著作目録をつくるのが容易な作家、といえば原尞だろう。なにしろ「死ぬまでに書く小説の数はそらで題名を全部言えるくらいにしておきたい」と公約しているぐらいの方である。今後も著作が一気に増える心配はないにちがいない…

『北の文学』第55号(平成19年/2007年11月)「三好京三氏追悼特集」

直木賞史上最大のゴシップの主人公となった三好京三。彼は岩手県の有力文藝誌『北の文学』から作家人生をスタートさせ、一時休刊となっていた同誌が昭和55年/1980年に復刊すると、編集委員を引き受けた。 以後、長きにわたって編集委員を務め、岩手の地で新…

第17回中山義秀文学賞公開選考会

中山義秀文学賞は、選考会が一般に公開される。そのせいか、改めて選評といったものが文章として発表されることがない。今日平成23年/2011年11月19日、第17回の選考会が、福島県白河市の白河市立図書館で行われた。その様子と、各選考委員の候補作評を書き残…

座談会「文学賞を批判する」(『文學界』昭和28年/1953年5月号)

昭和28年/1953年。まだ石原慎太郎による文学賞ビッグバンが起こる前である。すでに当時、文学賞がどんどん増えて、「その在り方について、ジャーナリズムの方でも、とかくの批評がある」との背景から、文学賞についての発言は各所で行われていた。そのうち、…

『週刊文春』第48回(昭和37年/1962年下半期)直木賞紹介記事

『週刊文春』は、直木賞の決まる季節には受賞者紹介記事を載せるのが定番である。版元が版元だけに、テッパン記事ともいえる。この記事の見どころはいろいろある。 その時代に、受賞発表はどのように行われていたか。 二人受賞者がいる場合、どちらに比重を…

河盛好蔵「文壇クローズアップ 文学賞について」(『小説新潮』昭和37年/1962年2月号)

河盛好蔵は、文学賞ファンにとっては心強い文人のひとり。なぜなら、文学賞は数が多ければ多いほどよい、という意見の持ち主だからである。専門がフランス文学だからなのだろう。文学賞大国・フランスの姿を是とする考え方が、その根底にはあるようだ。 『小…

笹森貞二「私と津軽書房」(『年輪』所収)

青森の出版社、津軽書房が15周年を迎えた昭和54年/1979年、『年輪』というエッセイ集が出された。同社に関わりの深い人たち28人と、社主・高橋彰一が15年を振り返って原稿を寄せている。平井信作、佐藤善一、長部日出雄、左館秀之助と、直木賞候補者(および…

『オール讀物』の直木賞受賞者による自伝エッセイ一覧

直木賞の発表媒体は文藝春秋の『オール讀物』である。発表号には、受賞のことば、選考委員による選評が載るほか、昭和30年代40年代ごろからは受賞作(全文掲載か、抄録)が掲載されるのが通例となった。また、その他、受賞者にまつわるいくつかの記事が載る…

有馬頼義「貴族の退場」

有馬頼義が第31回(昭和29年/1954年上半期)直木賞を受賞したころのことは、別のブログでも書いた。基本、雑誌社からの注文はなかったと語っている。ただし、受賞した日からしばらく反響があったとも回想している。 『原点』(毎日新聞社刊) 著者 有馬頼義…

『風雷』第129号(平成8年/1996年11月)「浅田晃彦氏追悼」

浅田晃彦は「乾坤独算民」で第60回(昭和43年/1968年下半期)直木賞候補に挙がった作家。群馬の地で亡くなるまで文学活動を続け、多くの新人を顕彰し後輩たちを育てた。彼が同人として所属し、エッセイ「往時茫々」を連載していた『風雷』では第129号(平成8…

第一回サンデー毎日小説賞入選作発表

『サンデー毎日』主催の公募小説賞は歴史が長い。その入選作が直木賞候補になることもある。ただ、入選作より低い評価しか与えられなかった選外佳作が、入選作をおさえて直木賞候補に選ばれる例もある。第44回(昭和35年/1960年下半期)の木戸織男「夜は明け…

花村奨(土岐愛作)「年譜」

花村奨(すすむ)は別名・土岐愛作。戦前の直木賞候補作家である。サンデー毎日大衆文芸での佳作から出発し、長谷川伸と土師清二に師事。新鷹会の会員となり、『大衆文藝』の編集長も務めた。没後、山本和夫の手により『行路』という文集が編まれた。 『行路…

『文章倶楽部』昭和3年/1928年3月号(新潮社発行)「シルレル賞と其の受賞者」

いつの時代も、どの国でも、文学賞の結果にはとかく不平の声が挙がるものである。日本でまだ直木賞・芥川賞が生まれる以前のこと。新潮社の『文章倶楽部』はすでに日本の読者に、海外の文学賞の姿をしばしば伝えていた。以下は『文章倶楽部』昭和3年/1928年3…

森田誠吾「行くカネ来るカネ 私の体を通り過ぎたおカネ」

直木賞を受賞すると、多くの場合、直後に『週刊文春』からお声がかかる。同誌の語りおろし連載「行くカネ来るカネ 私の体を通り過ぎたおカネ」にも、さまざまな直木賞受賞直後作家が登場した。製版会社社長だった森田誠吾も、そのひとり。 『週刊文春』昭和6…

「相野田敏之・略歴」

相野田敏之の「山彦」は、第13回(昭和16年/1941年上半期)芥川賞で、多田裕計「長江デルタ」と受賞をあらそった。芥川賞史上、選考会が時局モノに大きく傾いた分岐点、としてよく知られている回でもある。相野田はその後、創作から離れて、教職、地方政治に…

小森収インタビュー「各務三郎 ミステリがオシャレだったころ」

早川書房『ミステリマガジン』の第4代編集長、各務三郎(太田博)。その在任期間(昭和43年/1968年〜昭和48年/1973年)は、直木賞でいうと、第60回台に当たる。推理小説はこの時期も、直木賞から縁遠かった。小森収のインタビューから、各務三郎の直木賞観が…

『草川俊作品集10中国大陸編』「あとがき」

昭和30年代、3度の直木賞候補に選ばれた作家に草川俊がいた。平成2年/1990年から平成3年/1991年にかけて桐原書店から、『草川俊作品集』全10巻を刊行した。私家版だったためか、せっかくの偉業なのに、どの巻も一般的には入手難である。第10巻には第39回候補…

「ユーモア賞授与式」

指方龍二が苦労して育て上げた戦前の雑誌『ユーモアクラブ』。同誌は昭和15年/1940年から2年間だけ、文学賞を主催した。ユーモア賞という。直木賞と近いようで遠く、遠いようで近い賞だった。 『ユーモアクラブ』昭和16年/1941年2月号(第五巻第二号) 定価…

近松秋江「評論の評論」

直木賞・芥川賞とほぼ同時代に創設された賞に、文藝懇話会賞がある。昭和10年/1935年ごろは、直木賞の話題は文藝懇話会賞とともに語られることがよくあった。その文献のひとつが近松秋江の「評論の評論」。文藝懇話会の機関誌『文藝懇話会』創刊号に掲載され…

井出孫六「芥川賞・直木賞――周辺の人物史」

直木賞作家の井出孫六は昭和61年/1986年当時、『エコノミスト』誌に「東京歴史紀行」を連載していた。その第10回が「芥川賞・直木賞――周辺の人物史」。昭和10年/1935年文藝春秋社のあった大阪ビルのことなどを紹介している。 『エコノミスト』昭和61年/1986…

『大衆文藝』昭和23年/1948年6月号(新小説社発行)

言うまでもなく『大衆文藝』誌は直木賞ほか大衆文学に関する記事の宝庫。そのなかで昭和23年/1948年6月号では「編集者の手帳」(編集後記のようなもの)に、「大衆雑誌懇話会賞」の話題が出てくる。 『大衆文藝』昭和23年/1948年6月号(第十巻第六号) 定価…

後藤杜三「義秀帖―未帰の客―」

後藤杜三は眼科医にして、横光利一門下を中心に鎌倉で発行されていた同人誌『南北』の発行人。中山義秀は『南北』の同人ではなかったが、顧問格として遇され、旧友の娘であった安西篤子が同誌に参加したのは、その縁だった。義秀の死から13年、後藤の「義秀…

日本社版『小指』「序」堤千代

直木賞作家の堤千代の没年月日は、昭和30年/1955年11月10日。すでに著作権は切れている。戦後まもなく出版された作品集『小指』に、堤千代は「序」を寄せている。『オール讀物』に投稿するまでの経緯などはおおむね、ほかの随筆や自伝小説と同じだが、全文こ…

金原健児追悼『文藝首都』昭和24年/1949年4月号

『文藝首都』を支えた編集者、金原健児は昭和24年/1949年、43歳で亡くなった。芥川賞候補作家のひとりである。その追悼記事は『文藝首都』昭和24年/1949年4月号に載った。寄稿者は保高徳蔵と牧野英二の二人。 『文藝首都』昭和24年/1949年4月号(第十七巻第…

『山形文学』(山形文学会発行)73集、74集

同人誌『山形文学』は、直木賞では柴田道司(候補)、芥川賞では後藤紀一(受賞)を生んだ歴史ある雑誌。平成12年/2000年に発行された2号分を、ここではピックアップする。 『山形文学』第73集(平成12年/2000年5月) 頒価700円、編集委員 栖坂聖司・高橋菊…

「資料の屑籠」とは

日ごろから、親サイトである「直木賞のすべて」や、 関連サイト「芥川賞のすべて・のようなもの」「直木賞のすべて 余聞と余分」のために、いろいろな資料に当たっています。ただ、だんだんと整理がつかなくなってきました。「直木賞(や芥川賞)に関連する…

『文藝通信』(文藝春秋社発行)

直木賞と芥川賞と縁深い雑誌といえば、創設のときから『文藝春秋』『オール讀物』の二誌と相場が決まっている。しかし、文藝春秋社が当時発行していた雑誌はこれだけではない。「第三の直木賞・芥川賞機関誌」、その位置に『文藝通信』誌がある。 『文藝通信…