後藤杜三「義秀帖―未帰の客―」

後藤杜三は眼科医にして、横光利一門下を中心に鎌倉で発行されていた同人誌『南北』の発行人。

中山義秀は『南北』の同人ではなかったが、顧問格として遇され、旧友の娘であった安西篤子が同誌に参加したのは、その縁だった。

義秀の死から13年、後藤の「義秀帖―未帰の客―」が『新潮』に掲載された。

『新潮』昭和57年/1982年8月号(第七十九巻第八号)

定価五八〇円、編集兼発行者 坂本忠雄、発行所 株式会社新潮社、昭和57年/1987年8月1日発行
目次

※当然ながら「義秀帖」では身近な者しか知り得ない中山義秀の言動がふんだんに回顧されている。名前は伏せられているが、某芥川賞候補作家も、こんなかたちで登場したりする。

文藝春秋の編集者として生前の横光に親しかった某が、横光の一種の文壇遊泳術を痛烈に活写した小説「智慧の輪」を発表して、横光崇拝者達を唖然たらしめたときなぞ
「あんな毒筆を弄していたは、作者自身の品位を堕とすばかりだ。読んでは面白かったが、軽蔑を感ずる」
 と評していた。」

 庄野誠一のことである。