2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧
指方龍二が苦労して育て上げた戦前の雑誌『ユーモアクラブ』。同誌は昭和15年/1940年から2年間だけ、文学賞を主催した。ユーモア賞という。直木賞と近いようで遠く、遠いようで近い賞だった。 『ユーモアクラブ』昭和16年/1941年2月号(第五巻第二号) 定価…
直木賞・芥川賞とほぼ同時代に創設された賞に、文藝懇話会賞がある。昭和10年/1935年ごろは、直木賞の話題は文藝懇話会賞とともに語られることがよくあった。その文献のひとつが近松秋江の「評論の評論」。文藝懇話会の機関誌『文藝懇話会』創刊号に掲載され…
直木賞作家の井出孫六は昭和61年/1986年当時、『エコノミスト』誌に「東京歴史紀行」を連載していた。その第10回が「芥川賞・直木賞――周辺の人物史」。昭和10年/1935年文藝春秋社のあった大阪ビルのことなどを紹介している。 『エコノミスト』昭和61年/1986…
言うまでもなく『大衆文藝』誌は直木賞ほか大衆文学に関する記事の宝庫。そのなかで昭和23年/1948年6月号では「編集者の手帳」(編集後記のようなもの)に、「大衆雑誌懇話会賞」の話題が出てくる。 『大衆文藝』昭和23年/1948年6月号(第十巻第六号) 定価…
後藤杜三は眼科医にして、横光利一門下を中心に鎌倉で発行されていた同人誌『南北』の発行人。中山義秀は『南北』の同人ではなかったが、顧問格として遇され、旧友の娘であった安西篤子が同誌に参加したのは、その縁だった。義秀の死から13年、後藤の「義秀…
直木賞作家の堤千代の没年月日は、昭和30年/1955年11月10日。すでに著作権は切れている。戦後まもなく出版された作品集『小指』に、堤千代は「序」を寄せている。『オール讀物』に投稿するまでの経緯などはおおむね、ほかの随筆や自伝小説と同じだが、全文こ…
『文藝首都』を支えた編集者、金原健児は昭和24年/1949年、43歳で亡くなった。芥川賞候補作家のひとりである。その追悼記事は『文藝首都』昭和24年/1949年4月号に載った。寄稿者は保高徳蔵と牧野英二の二人。 『文藝首都』昭和24年/1949年4月号(第十七巻第…
同人誌『山形文学』は、直木賞では柴田道司(候補)、芥川賞では後藤紀一(受賞)を生んだ歴史ある雑誌。平成12年/2000年に発行された2号分を、ここではピックアップする。 『山形文学』第73集(平成12年/2000年5月) 頒価700円、編集委員 栖坂聖司・高橋菊…
日ごろから、親サイトである「直木賞のすべて」や、 関連サイト「芥川賞のすべて・のようなもの」「直木賞のすべて 余聞と余分」のために、いろいろな資料に当たっています。ただ、だんだんと整理がつかなくなってきました。「直木賞(や芥川賞)に関連する…
直木賞と芥川賞と縁深い雑誌といえば、創設のときから『文藝春秋』『オール讀物』の二誌と相場が決まっている。しかし、文藝春秋社が当時発行していた雑誌はこれだけではない。「第三の直木賞・芥川賞機関誌」、その位置に『文藝通信』誌がある。 『文藝通信…