直木賞候補作家

長沢巌『おおぞらに向かって』に描かれた日吉早苗

第23回(昭和25年/1950年下半期)の候補者、日吉早苗は、それからわずか2年ほど後、亡くなった。日吉といえば、まず何より親友の山本周五郎、あるいは教え子だった小沼丹による回想文でも知られる。日吉の息子、長沢巌は長じて牧師となり、また障碍者施設「…

「「時の人」斎藤芳樹とは?」(『文明』創刊号昭和25年/1950年8月)

第57回(昭和42年/1967年上半期)直木賞候補、『近代説話』同人、そして第2回夏目漱石賞入選者、斎藤芳樹は、奄美の人である。その作品世界の多くも、奄美の地に取材したものだった。夏目漱石賞の入選が、名瀬市の奄美文明社『文明』によって取り上げられて…

三浦浩・著『司馬遼太郎とそのヒーロー』所収 福田みどり「「あとがき」にかえて――赤いタバコの無言劇」

司馬遼太郎(本名・福田定一)は産経新聞の文化部で働いていた。隣の席の向かいには、のちに妻となる松見みどりが座っていた。そして、その司馬の隣の席というのが、誰あろう、のちの直木賞候補作家、三浦浩だった。三浦は司馬に関する著書を幾冊か編著、ま…

『風雷』第129号(平成8年/1996年11月)「浅田晃彦氏追悼」

浅田晃彦は「乾坤独算民」で第60回(昭和43年/1968年下半期)直木賞候補に挙がった作家。群馬の地で亡くなるまで文学活動を続け、多くの新人を顕彰し後輩たちを育てた。彼が同人として所属し、エッセイ「往時茫々」を連載していた『風雷』では第129号(平成8…

第一回サンデー毎日小説賞入選作発表

『サンデー毎日』主催の公募小説賞は歴史が長い。その入選作が直木賞候補になることもある。ただ、入選作より低い評価しか与えられなかった選外佳作が、入選作をおさえて直木賞候補に選ばれる例もある。第44回(昭和35年/1960年下半期)の木戸織男「夜は明け…

花村奨(土岐愛作)「年譜」

花村奨(すすむ)は別名・土岐愛作。戦前の直木賞候補作家である。サンデー毎日大衆文芸での佳作から出発し、長谷川伸と土師清二に師事。新鷹会の会員となり、『大衆文藝』の編集長も務めた。没後、山本和夫の手により『行路』という文集が編まれた。 『行路…

小森収インタビュー「各務三郎 ミステリがオシャレだったころ」

早川書房『ミステリマガジン』の第4代編集長、各務三郎(太田博)。その在任期間(昭和43年/1968年〜昭和48年/1973年)は、直木賞でいうと、第60回台に当たる。推理小説はこの時期も、直木賞から縁遠かった。小森収のインタビューから、各務三郎の直木賞観が…

『草川俊作品集10中国大陸編』「あとがき」

昭和30年代、3度の直木賞候補に選ばれた作家に草川俊がいた。平成2年/1990年から平成3年/1991年にかけて桐原書店から、『草川俊作品集』全10巻を刊行した。私家版だったためか、せっかくの偉業なのに、どの巻も一般的には入手難である。第10巻には第39回候補…

『山形文学』(山形文学会発行)73集、74集

同人誌『山形文学』は、直木賞では柴田道司(候補)、芥川賞では後藤紀一(受賞)を生んだ歴史ある雑誌。平成12年/2000年に発行された2号分を、ここではピックアップする。 『山形文学』第73集(平成12年/2000年5月) 頒価700円、編集委員 栖坂聖司・高橋菊…

『文藝通信』(文藝春秋社発行)

直木賞と芥川賞と縁深い雑誌といえば、創設のときから『文藝春秋』『オール讀物』の二誌と相場が決まっている。しかし、文藝春秋社が当時発行していた雑誌はこれだけではない。「第三の直木賞・芥川賞機関誌」、その位置に『文藝通信』誌がある。 『文藝通信…