座談会「文学賞を批判する」(『文學界』昭和28年/1953年5月号)

昭和28年/1953年。まだ石原慎太郎による文学賞ビッグバンが起こる前である。

すでに当時、文学賞がどんどん増えて、「その在り方について、ジャーナリズムの方でも、とかくの批評がある」との背景から、文学賞についての発言は各所で行われていた。

そのうち、『文學界』誌が催したのが「文学賞を批判する」座談会。

文學界』昭和28年/1953年5月号(第7巻第5号)

編集人 鈴木貢、発行人 池島信平、発行所 文藝春秋新社、定価百円、昭和28年/1953年5月1日発行
目次

※座談会の出席者は、浦松佐美太郎(司会)、吉田健一臼井吉見奥野信太郎、西村孝次の5名。それと「記者」が同席してクチバシを入れるかたち。話題の中心は、芥川賞。やはりというべきか。しかし直木賞のことにも結構紙数が費やされている。
 いくつかの発言を引用しておきたい。

奥野 僕は、自分の印象で言うとそういうことは通用しないかもしれないけれども、芥川賞直木賞と比べるでしょう、直木賞はともかくとして、芥川賞はもし芥川が生きていたら彼自身に選ばしてみたいんですよ。従って選者も、芥川文学のよくわかる、もしくは芥川が支持するであらう文学のわかる、そういう選者であってほしいような気がするんです。
(引用者中略)
そう言うと、直木賞を落すようで悪いけれども、直木賞はまア大衆文学という広い立場ですからね。芥川賞は、芥川を記念するという意味だと思うんです。芥川というのは好みのうるさい男ですよ。ですから少し狭くなるかもしれないけれども、そのくらいの潔癖さがあってもいいと思うんです。」

 選考委員の顔ぶれが問題だ、という指摘である。

 また、「芥川賞の功罪」も話題にされている。昭和28年/1953年の段階での彼らの意識は「戦前の芥川賞から、戦後になっての変化」というところにある。要は、昔のほうがよかった、みたいなハナシである。おなじみの光景ともいえる。

浦松 芥川賞の功罪はどうでしょう。
臼井 功が多いでしょう。
浦松 どういう?
臼井 とにかく実力ある新人を大勢出している。
浦松 過去においてはね。戦後は?
臼井 戦後はあまりどうも効果がないように思うナ。
浦松 罪はありますか。
臼井 特別、罪があるとは思いませんがね。
奥野 僕はあると思うんです。つまりこれを何となく目指してる人がいるんですよ。
臼井 それはやむを得ないですね。そういう根性の者は仕様がないです。
奥野 戦前はなかったでしょう。」

 今の文学賞を批判し、昔の姿を持ち上げることで、議論が成り立ってしまうこの安定感。

 最後に直木賞についての、このメンバーの言葉を。

浦松 それでは芥川賞はその程度にして、直木賞に行きましょう。今までもだいぶ話が出たんですが、臼井さん、何か御感想は。
臼井 大してないですね。
奥野 この方が気がらくじゃないでしょうか。
浦松 つまり技術的に批評して行けばいいんですからね。銓衡委員も技術的に非常に見識をもった人がお集りですから。
奥野 この顔触見ると、大体これでいいんじゃないですか。
吉田 つまり、みな批評家的作家ですよ。
浦松 そう言えるかね。(笑声)
吉田 少くとも技術については批評できる。そのことを言いたいんですよ。」

 真剣に直木賞のことを語る気ないの、バレバレ……。