『大衆文藝』昭和23年/1948年6月号(新小説社発行)
言うまでもなく『大衆文藝』誌は直木賞ほか大衆文学に関する記事の宝庫。
そのなかで昭和23年/1948年6月号では「編集者の手帳」(編集後記のようなもの)に、「大衆雑誌懇話会賞」の話題が出てくる。
『大衆文藝』昭和23年/1948年6月号(第十巻第六号)
定価三十円、編集印刷兼発行人 島源四郎、発行所 合資会社新小説社、昭和23年/1948年6月1日発行
目次
- 京子……矢田彌八(挿絵・木村荘八)
- 花の雨……山手樹一郎(挿絵・中一彌)
- 麦魚(うきんす)……花村奨(挿絵・茂田井武)
- 真山青果氏の葬儀……村上元三
- 句・真山青果翁を悼む……室積徂春
- 広瀬五郎の死……北條秀司
- やきとり半可通……和田信賢
- 蛙が腹の中で鳴く話……室積徂春
- 『むかしと今』サマセット・モーム覚書……杉村武
- ロマンえの道……黒木冠
- 小説月旦……あづま・みよ
- 喜劇圏……丸尾長顕
- 美事なる一人二役……村上元三
- 編集者の手帳
- 「大衆文藝賞」作品募集規定
- 表紙……宮田重雄
- 扉画……茂田井武
- カット……野村守夫
※「編集者の手帳」の署名は(M・M)。大衆雑誌懇話会賞は前年昭和22年/1947年に第1回を決めた新しい賞。大衆雑誌懇話会がさほど注目されていないことに、M・M氏は怒っている。
「四月六日にお茶の水の雑誌記念館で「大衆雑誌懇話会」の総会があり、懇話会賞を今年も続行する件が、満場一致で可決された。この大衆雑誌懇話会は手前味噌でなく、もう少し世間から注目されていい団体ではないかとわたしなど考えている。発会以来まだ満一ヶ年にしかならず、昨年度の事業としてわずかに懇話会賞を贈ったきりだが、公友社の工藤恒氏や、日本ユーモアの指方龍二氏や、洋々社の岩崎純孝氏や、その他の人たちが極めて熱心且つ良心的に働いてくれているので今年は会の業績も多方面にわたって挙るに違いない。ともすれば営利を追求して嫌らしく対立しがちな雑誌の編集者が、純粋な気持ちで手をつなぎ合っているだけでも、この団体は賞讃されていいのである。」
残念ながら懇話会賞はこの年の第2回をもって自然消滅してしまったらしい。
また、この号には北條秀司が大阪時代からの友人・広瀬五郎(昭和23年/1948年3月23日没)の追悼文を寄せている。北條、広瀬、と来れば当然、二人と行動を共にしていたもう一人の友人・河内仙介の話も……と期待させるが、追悼文のなかに河内は出てこない。