『文章倶楽部』昭和3年/1928年3月号(新潮社発行)「シルレル賞と其の受賞者」

いつの時代も、どの国でも、文学賞の結果にはとかく不平の声が挙がるものである。

日本でまだ直木賞芥川賞が生まれる以前のこと。新潮社の『文章倶楽部』はすでに日本の読者に、海外の文学賞の姿をしばしば伝えていた。

以下は『文章倶楽部』昭和3年/1928年3月号(新潮社発行)「海外文壇のいろいろ」のうち「シルレル賞と其の受賞者」から。

▼シルレル賞と其の受賞者 一八五九年のシルレル誕生百年祭の記念の一つとして、シルレル賞といふ文学賞が設けられて、ドイツに於ける戯曲の傑作に対して賞金を贈るといふ組織が作られたのであつた。しかしこの文学賞は授賞に関する規則が常に動揺して方針が色々に変化したがために、毎年規則正しく授賞されないことがあつて、ある期間には二十年間ばかりも、授賞するに値する傑作が見当らないといふ理由で、授賞しなかつたことさへあつたのである。そして最近でも過去の十二年間は全然授賞したためしがなかつた。それがため数年来この文学賞の復活は、ドイツの文壇乃至は一般の人人からかなり重大な事件として見られて来て居るのであつたが、昨年は愈々復活されて十一月に選衡の結果、ヘルマン・ブルテ、フォン・ウンルウ、フランツ・ヴェルフェルの三人に賞金が贈られることになつた。
 この選者は九人から成つて居て大学の教授と作家と俳優といつた顔振れである。受賞者の選衡の是非について種々の議論が唱へられるのが、かうした文学賞については免れないことだが、以上の三人の受賞者の顔振れに対して、選衡が適切でないといふ非難がかなり喧びすしかつたのである。これ等の作家が何れも大戦前の作家であること、及び彼等は何れも劇作に対する熱心家だとはいひ得るにしても、決して傑出した作家だとはいひ得ない、彼等の外にもつと適当な候補者が幾らもあるといふのが主なる非難の理由である。」

1920年代のドイツにも、文学賞の好きな人たちがいたらしくて嬉しい限り。