有馬頼義「貴族の退場」
有馬頼義が第31回(昭和29年/1954年上半期)直木賞を受賞したころのことは、別のブログでも書いた。
基本、雑誌社からの注文はなかったと語っている。ただし、受賞した日からしばらく反響があったとも回想している。
『原点』(毎日新聞社刊)
著者 有馬頼義、発行所 毎日新聞社、定価七八〇円、昭和45年/1970年4月25日発行
目次
- 裸足のアメリカ
- 裸足のアメリカ
- 津の守同窓会
- 貴族の退場
- 空白の大正史
- わが病歴
- 戦争中の新聞記者
- 歳月が人を変えた話
- 桜ながし
- 人間にとって過去とは何か
- 密造
- ある軍医中尉の話
- 仏壇
- 穴の中でじっと待つ
- 貴族の退場
- 性教育は必要か
- 交換船阿波丸の謎
- あとがき
「貴族の退場」は、父親・有馬頼寧についての随想だが、そのなかに直木賞受賞直後の一件が出てくる。有馬頼義がなぜ推理小説に手を染めたのか、彼なりの説明もされている。
「直木賞受賞といっても、当時は、今ほど世間はさわがなかったし、賞をもらったからといって、急に雑誌社から注文がくるわけではなかった。しかし、父の家の方についた電話は、鳴りっぱなしで、僕は、母の声で、その日だけで何十回父の家へかけつけたかわからない。父が、そのことを、どう思い、どう感じていたか。おめでとう、といわれたような気もするし、冷淡であったような気もする。何日か経って、新聞社が、父と一緒の写真をとりに来たとき快く一緒にカメラにおさまってくれたことだけは、記憶している。僕は今日でも、時折り、父や、母や、二人をとりまく人たちのことを嘘いつわりなく書いてきているから、当時の父の心の中で、これは弱ったことになった、何を書かれるかわからないぞ、という半分迷惑な気持もあっただろうと思う。だから、それから五年ほどの間、僕は身内の人のことを書かないでいた。それが書けないので、推理小説を、あのころ書いたのである。」