近松秋江「評論の評論」

直木賞芥川賞とほぼ同時代に創設された賞に、文藝懇話会賞がある。

昭和10年/1935年ごろは、直木賞の話題は文藝懇話会賞とともに語られることがよくあった。

その文献のひとつが近松秋江の「評論の評論」。文藝懇話会の機関誌『文藝懇話会』創刊号に掲載された。

『文藝懇話会』創刊号(第一巻第一号)上司小剣編輯号

定価三十銭、編輯兼発行人 松澤太平、発行所 文藝懇話会、昭和11年/1936年1月1日発行
目次

※「評論の評論」は文末の日付表記によると昭和10年/1935年12月7日に書かれたもの。「遠近法のない批評」「綜合批評」「私小説是非」「懇話会排撃について」の4つの章が立てられている。文学賞のことは「懇話会排撃について」内で触れられている。

「昨年十一月廿三日発行の「藝術新聞」といふを見ると、武田麟太郎氏が、表題の如き見出しの下に談話をしてゐる。
 懇話会賞次年度(十年)の詮考が迫つてきた。文藝春秋社では夙に次の準備をしてゐる。といつて、例へば、島崎藤村氏の「夜明け前」などは、十年度一年に限つた作でもないのみならず、今更ら藤村氏顕彰でもあるまい。これは、むしろ超懇話会賞扱ひにして、出来ることなら、別途の方法により、敬意を表すべきと思ふ。
 懇話賞にも、文藝春秋社の芥川賞直木賞の如く、多量の意味に於いて、新進発見とまで行かずとも、出来るだけ清新溌剌としたところへ持つていかなくては、文学に好い刺激を与へない。賞創設の意味がない。そこで武田麟太郎氏の「銀座八町」なども、相当考慮に入れられるべき物だと、実は私は思つたが、今となつては、彼作は九年度のものであるのみならず、武田氏などの如き硬骨清廉の士は、もし懇話会がそんな決定をすると、見事に顕彰を一蹴して、耻を掻かすだらうことを恐れる。今年の「下界の眺め」などは、どうか知らぬが、先づ差控へて置く方が無事かと思ふ。」

 文中、文藝懇話会賞の準備を「文藝春秋社」がしている、とある箇所が気になる。誤植か、それとも懇話会賞も文春が噛んでいたのだろうか?