2012-01-01から1年間の記事一覧
以前、文藝春秋社の『文藝通信』を取り上げたことがある。『文藝通信』(文藝春秋社発行) - 直木賞のすべて 資料の屑籠そのなかで昭和10年/1935年2月号の記事「世界文学賞物語」(無署名記事)を紹介した。ここではその全文を掲載しておく。直木賞・芥川賞…
第23回(昭和25年/1950年下半期)の候補者、日吉早苗は、それからわずか2年ほど後、亡くなった。日吉といえば、まず何より親友の山本周五郎、あるいは教え子だった小沼丹による回想文でも知られる。日吉の息子、長沢巌は長じて牧師となり、また障碍者施設「…
直木賞(と芥川賞)の受賞者は、しばしば、受賞時の回想や賞金の使い道などを、書かされてきた。「直木賞○周年記念」と銘打たれた文藝春秋の雑誌では、よく、その記事を見かける。『別冊文藝春秋』昭和27年/1952年10月発行の号は、30号記念号で、直木賞・芥…
第57回(昭和42年/1967年上半期)直木賞候補、『近代説話』同人、そして第2回夏目漱石賞入選者、斎藤芳樹は、奄美の人である。その作品世界の多くも、奄美の地に取材したものだった。夏目漱石賞の入選が、名瀬市の奄美文明社『文明』によって取り上げられて…
昭和45年/1970年7月1日〜9月13日、東京都近代文学博物館において「直木賞展」が催された。このときの様子の一部が、第54回(昭和40年/1965年下半期)受賞者、新橋遊吉の所属する同人誌『讃岐文学』にて紹介されている。そのなかの写真のひとつに、「芥川・直…
第41回受賞の渡辺喜恵子は、夫である商業写真家の木下利秀と二人暮らしだった。特徴といっては「主婦作家」ということだったためか、当時の雑誌には、「主婦であること」にフォーカスされた記事がいくつも残されている。そのうちのひとつが『毎日グラフ』に…
芥川賞委員が、受賞作の選出に異をとなえて辞任する。という事件が話題らしいので、永井龍男を紹介してみたい。 永井はまず第75回(昭和51年/1976年上半期)に村上龍「限りなく透明に近いブルー」への授賞を受けて、主催の日本文学振興会に辞任を申し出た。 …
『松柏』は昭和52年/1977年に創刊された同人誌。主宰は大浜東窓(大濱侃)で、主に中高年を同人とする、小説・随筆誌である。 同人のなかには、大月常靖など、過去に雑誌編集者だった人物も含まれていて、大衆読物誌周辺のエピソードもチラチラ書かれている…