芥川賞候補作家

「相野田敏之・略歴」

相野田敏之の「山彦」は、第13回(昭和16年/1941年上半期)芥川賞で、多田裕計「長江デルタ」と受賞をあらそった。芥川賞史上、選考会が時局モノに大きく傾いた分岐点、としてよく知られている回でもある。相野田はその後、創作から離れて、教職、地方政治に…

後藤杜三「義秀帖―未帰の客―」

後藤杜三は眼科医にして、横光利一門下を中心に鎌倉で発行されていた同人誌『南北』の発行人。中山義秀は『南北』の同人ではなかったが、顧問格として遇され、旧友の娘であった安西篤子が同誌に参加したのは、その縁だった。義秀の死から13年、後藤の「義秀…

金原健児追悼『文藝首都』昭和24年/1949年4月号

『文藝首都』を支えた編集者、金原健児は昭和24年/1949年、43歳で亡くなった。芥川賞候補作家のひとりである。その追悼記事は『文藝首都』昭和24年/1949年4月号に載った。寄稿者は保高徳蔵と牧野英二の二人。 『文藝首都』昭和24年/1949年4月号(第十七巻第…