「世界文学賞物語」(『文藝通信』昭和10年/1935年2月号)

以前、文藝春秋社の『文藝通信』を取り上げたことがある。

『文藝通信』(文藝春秋社発行) - 直木賞のすべて 資料の屑籠

そのなかで昭和10年/1935年2月号の記事「世界文学賞物語」(無署名記事)を紹介した。

ここではその全文を掲載しておく。

直木賞芥川賞ができた当時(まだ第1回の結果発表前)、日本でノーベル文学賞ゴンクール賞が、どのように見られていたか、一例を示すものとも言える。

『文藝通信』昭和10年/1935年2月号(第三巻第二号)

定価十五銭、発行兼印刷兼編集人 菊池武憲、発行所 株式会社文藝春秋社、昭和10年/1935年2月1日発行

世界文學賞物語

 日本にもいよいよ文學賞の制度ができた。「芥川賞」「直木賞」がそれである。然しながら、我が國民として今更あんまり大きい聲でいへた筋合のもんぢやない。何故かといふと、一體全體世界の文明國で文學賞のなかつた國といふものは、何と、今の今まで我がニツポンだけだつたのだ。なにせ、それらしきものすら殆どなかつたのだから、チヨツとばかり冷汗ものである。
 が、それにしても目出度い事には違いないのだ……。

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 では、アチラには一體どんな文學賞があるか?
 これがまた大變。ある暇人が暇にあかせて調べた處に據ると、歐羅巴でちよいと目ぼしい賞を拾つても二百や三百は轉がつてゐるといふから、何とキマリが惡いではないか。
 ゴンクール賞ゲーテ賞、フローレンス賞、なんどは中でも有名なもの。然し、何といつたつてピカ一は例のノーベル賞だ。

     ノーベル賞

 此のノーベル賞の起りといふのが、また色々と面白いのだが、冗々書いてた日には頁をうんと食つちまふ故、後日に讓る。ただごく簡單に云ふと、一八九六年に死んだアルフレツド・ベルンハルト・ノーベルといふ孤獨な瑞典人の遺志によつて、ノーベル賞なる制度が具體化したので、賞金は大枚四萬弗。
 藝術に國境なし、といふわけで、もちろん國籍は論じないのだ。ストツクホルム學界が之の審査詮衡に當る。
 で之を頂戴する人はといへばやはり大家が多い。つまり功成り名遂げた老大家、或は中老大家をねぎらふ意味の賞金に結果的にはなつてゐる。此の意味で、新人を掘出し援助して行くのを主旨とする我が芥川・直木賞とは自ら趣を異にしてゐる。
 最初の授賞は一九〇一年に行はれ、爾後、昨年黒シヤツの國伊太利の劇作家兼小説家のルイヂ・ピランデルロに至るまで優に三十四名の授賞者がゐる。(殘念ながら日本の作家はむろん此の恩典に與らなかつた)
 此の中には、フランスのロマン・ローラン、アナトール・フランス、ベルギーのマーテルリンク。ドイツのハープトマン、パウル・ハイゼ、トーマス・マン、英吉利のバーナード・シヨウ、ゴールスワージ、キツプリング、愛蘭のイエーツ等の大家の名が見られるし、地元のスカンヂナビヤでは、瑞典の女流作家セルマ・ラゲレフ、ビイエルンソン、諾威の、クヌード・ハムズン、ジーグリツド・ウンドセツト等の名が見出される。
 一九三〇年までは、日本同樣アメリカ及ソヴイエートには、ノーベル賞の授賞者がゐなかつた。所がである。一九三〇年に、弗の國アメリカの作家シンクレア・ルイズが此の賞金を貰つた。「本町通り」(ルビ:メーン・ストリート)や「バビスト」の作者として有名なルイズは、又「アメリカの悲劇」の作家ドライザーと仲の惡いのでも有名である。更に一九三三年には、ソヴイエートのイワ゛ン・ブーニンが授與された。此の人は然しプロレタリア作家ではなく、代表作「桑港から來た紳士」に見られる如く亡命者(ルビ:エミグレ)である。
 とにかく、此の二人で日本より一足先にアメリカとソヴイエートがノーベル賞を貰つちまつた。さて、日本では誰か、といふ事になるとよく候補者は擧げられるが、國語の關係上當分悲觀すべき状態にある。けれども、仏蘭西の哲學者ベルグソンが一九二八年には、諾威の女流作家ウンドセツトとともに授賞してゐるのだから、京都の西田幾太郎(ママ)博士あたりに早晩お鉢が廻つて來ない事もあるまい。

     ゴンクール賞

芥川賞」「直木賞」と一味相通ずるものにフランスのゴンクール賞がある。
 アカデミー・ゴンクールといふのがちやんとあつて、その會員達が年々傑作を選ぶのだ。ゴンクールとは勿論十九世紀の有名な兄弟の文學者で、ゴンクール兄弟は評論家として又劇、小説家として合作の權威ある著作を遺してゐる。その兄弟の遺志による表彰で、賞金は五千フラン。昨年には、我が「行動主義」の連中が頻りに押戴いてゐるアンドレ・マルロオの「征服者」が授賞した。近く小松清氏の譯で發行されると聞く。一昨年、乃ち一九三三年に貰つたのは、ギイ・マヅリーヌとレイモンド・ド・リアンジの兩名。
 愚劣な映畫だつたが、婦人公論が力瘤を入れたためにパツと有名になつた「母の手」の原作はレオン・フラピエといふ人の「保育園」で、たしか一九〇三年か四年かの、ゴンクール賞獲得の小説である。
 此のゴンクール賞は新人の傑作發見に資する處甚だ大であつて、その點ノーベル賞とはダンチに解放的で、所謂アカデミツクな匂のしないのがウレシイ。

     ゲーテ賞其他

 ゲーテ賞といふのがある。之は賞金制ではなく賞牌(ルビ:メダル)をくれるだけだが、相當に良心的な處があり、授賞者中には、一九三三年のアンドレ・ジイド、ポール・ヴアレリイ等の名も見られ必ずしも自國贔屓ではない。
 此の外、フエミナ賞、フローレンス賞等も權威があるが、紙數も盡きて來たから、これくらゐに止めておく。」