『山形文学』(山形文学会発行)73集、74集

同人誌『山形文学』は、直木賞では柴田道司(候補)、芥川賞では後藤紀一(受賞)を生んだ歴史ある雑誌。

平成12年/2000年に発行された2号分を、ここではピックアップする。

『山形文学』第73集(平成12年/2000年5月)

頒価700円、編集委員 栖坂聖司・高橋菊子・相模清之・かむろたけし、発行人 笹沢信、発行所 山形文学会、制作 一粒社、平成12年/2000年5月1日発行
目次

  • 金雀枝(えにしだ)と〈血染めのラッパ〉……しん りゅうう
  • 薄氷(うすらい)……加藤厚子
  • 夢のあとに……高橋菊子
  • 新疆ウイグル自治区の人たち……安達徹
  • 詩 うつせみ……駒込
  • 随想
    • 太宰の津軽―昔話からの出発……井川久
    • 「やまある記」6 月山……かむろたけし
    • 経世済民の人……牧野房
  • 蚊……有松周
  • 駒姫「東山殿覚書」より……折口徹
  • 表紙写真……大友俊
  • カット……斎藤二良
  • 受贈誌紹介
  • 同人出版案内
  • 72集評
  • 同人風信
  • 同人名簿
  • 編集後記

直木賞候補作家、柴田道司の死を、栖坂聖司が編集後記にて伝えている。死因は肺炎、葬儀は無宗教のため自宅で行われたとのこと。柴田の生き方の一端が以下文章からもうかがえる。

「私は「やまがた散歩」二月号後記に、柴田道司は「寡作なうえ処世が下手で、古風に言えば、討死した」と書いた。思い出すのは、直木賞を惜しくも逸した直後、駒田信二さんから中間小説誌Gならいつでも紹介しようというお話があり、すぐそのことを伝えて遣ったのだったが、とうとうそのご好意に応えずにしまった。そして優れた無償の原稿を、本誌と「やまがた散歩」に送りつづけてきた。(栖坂聖二)」

『山形文学』第74集(平成12年/2000年9月)

頒価700円、編集委員 栖坂聖司・高橋菊子・相模清之・かむろたけし、発行人 笹沢信、発行所 山形文学会、制作 一粒社、平成12年/2000年9月1日発行
目次

  • カットさんとマーちゃん……しん りゅうう
  • きげき 齋藤愼爾全句集から……高橋菊子
  • 波の花……丸山ふもと
  • 随想
    • 「やまある記」7 朝日岳……かむろたけし
    • 『東北人の原像』によせて……日野清司
    • 同人雑誌は可不可?……笹沢信
  • 母へ……有松周
  • ぼくの見たもの……李相哲
  • 表紙写真……大友俊
  • カット……斎藤二良
  • 受贈誌紹介
  • 同人出版案内
  • 第73集評
  • 同人名簿
  • 編集後記

※発行人である笹沢信が「同人雑誌は可不可?」を寄せている。中央文壇の新人賞と同人雑誌作家とについての一文。山形の某人が、中央の文学賞の下読みをしていることを自慢げに発言し続けていることに怒っている。それはともかく、そこに一人の直木賞候補作家に触れた箇所がある。

「ふと記者時代に「オール読物新人賞」を受賞した作家にインタビューしたことを思い出した。藤沢周平氏の「溟い海」につづく二年連続の県人受賞だった。I氏は特定の職業に就かずプロを目指し執筆に専念してきた末の受賞。生活の糧を得る手段は奥さんに任せ、当時の肩書きは「主夫業」ということだった。苦節何年かは聞かなかったけれど、当方のお祝いの言葉をさえぎるように、「新人賞なんて夜の新宿の巷で〈流しの免許〉を貰ったと言うほどのもので……」と謙遜の言葉を連ねた。県人贔屓ということもあり、藤沢氏につづく活躍を期待したものだった。その後、折々に新宿方面も覗きに行ったが、歌舞伎町はおろか、場末でもI氏の歌声を聞くことは少なかった。せっかく〈免許〉を貰いながら似たり寄ったりの人も少なくない。I氏のことを思い出すたびに、なまじ新人賞など貰ったために書けなくなったのではないか、と思ったりしたものだ。つまり、新人賞なんて功罪相半ば、その程度のものと考えているというのが本音である。」

I氏とは、山形県出身の石井博のこと。オール讀物新人賞の最多最終候補回数の記録の持ち主である。「新人賞など貰ったために書けなくなったのではないか」の文章が、その記録と呼応して記憶に残る。