昭和45年/1970年における直木賞・芥川賞決定までの流れ

昭和45年/1970年7月1日〜9月13日、東京都近代文学博物館において「直木賞展」が催された。

このときの様子の一部が、第54回(昭和40年/1965年下半期)受賞者、新橋遊吉の所属する同人誌『讃岐文学』にて紹介されている。

そのなかの写真のひとつに、「芥川・直木賞が決定するまで」と題されたパネルを撮影したものがある。撮影者は同人の藤田健二。

パネル上では、当時の両賞決定までのプロセスが図解されている。それを文字のみにて再現してみたい。

『讃岐文学』18号

1970年10月20日印刷、1970年11月5日発行、頒価200円(〒70円)、編集人 永田敏之、発行人 永田敏之、印刷所 讃文社、発行所 讃岐文学社

「グラビア 二つの文学展 直木賞展 壺井栄文学展」よりパネル写真

「芥川・直木賞が決定するまで

同人誌約800点 商業誌約50点 単行本約50点 ――選考対象は、期間中に公表された作品にかぎります。(ナマ原稿は受付けません)同人誌は一点につき四冊送付を原則とします。
  ↓
日本文学振興会 ――同人誌、商業誌とも平均四点の作品が掲載されていますので選考対象作品数は三千数百点になります。
  ↓
 社外アンケート(300名)
  ↓  文藝春秋社内選考委員(二十余名) ――選考対象作品一点は最低三名の委員が目を通します。
        ↓
文藝春秋社内選考委員会→(延べ12000点)→予選通過作決定 ――社内選考委員会は一期間中に十回は開かれます。社内委員が推薦する作品は、全委員に回覧し委員会にて討議されます。社内委員が推薦する作品は一期につきおよそ100点にのぼります。社外アンケートによる新たな推薦作品についても、社内委員全員が目を通した上で検討されます。
  ↓
予選通過者に通知 ――通知と同時に、公表用の資料を作成、送付してもらいます。
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選考委員に通過作品配布 ――選考委員会までに約一ヶ月の期間があります。
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予選通過作品を公表 ――新聞・通信・テレビ・ラジオおよそ五十社に通知されます。
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選考委員会 ――昔は数日にわたることもありましたが、現在はおよそ三時間ほどの討議で決定します。
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受賞者に通知 ――他の予選通過者にも通知します。
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受賞作及び選考経過発表 ――選考委員の代表が発表します。
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受賞者記者会見 ――受賞者が遠隔地の場合には行なわれません。
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受賞作品掲載 ――芥川賞の場合「文藝春秋」九月号(上期)三月号(下期) 直木賞の場合「オール讀物」十月号(上期)四月号(下期)
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贈呈式および懇親パーティ ――正賞(時計)と副賞(二十万円)が四百名ほどの招待客の前で贈呈されます。

■期間は上期(十二月一日〜五月三十一日)下期(六月一日〜十一月三十日)の年間二期です」

細かなところで変更された部分はあるが、おおまかな流れは今も変わっていない。

当時との違いで最も印象的なのは、最初の「選考対象作品」の部分。それぞれの内訳の比率もさることながら、各作品数を実数で紹介していて気持ちがいい。

今でも毎回、商業誌何点、単行本何点と公表すればいいのに、と思う次第。