『北の文学』第55号(平成19年/2007年11月)「三好京三氏追悼特集」

直木賞史上最大のゴシップの主人公となった三好京三

彼は岩手県の有力文藝誌『北の文学』から作家人生をスタートさせ、一時休刊となっていた同誌が昭和55年/1980年に復刊すると、編集委員を引き受けた。
以後、長きにわたって編集委員を務め、岩手の地で新進作家の育成に大きな功績をのこしている。

三好京三が亡くなったあと、『北の文学』第55号は追悼特集を組んだ。

『北の文学』第55号

発行人 三浦宏、発行所 岩手日報社、定価1,155円、平成19年/2007年11月15日発行
目次

  • 巻頭コラム
    • 遊園地の夢……石野文香
  • 三好京三氏追悼特集
    • 深く大いなる喪失感
    • 遺稿
      • 文学と信念
      • 復刻「北の文学」に思う
      • 聖職
    • 寄稿
  • 短歌
    • 秋日抄……松田久恵
  • 入選作・小説
    • 和山街道……佐藤純
    • 千年の途中……菅原裕紀
  • 俳句
  • 入選作・小説
  • 川柳
    • 休耕田……佐藤昭一
  • 入選作・小説
    • 『キツネ沢』……清水渡
    • 逃亡の町で……浅沼誠子
    • なくならない……板垣崇志
  • 選考経過・選評……三編集委員
  • エッセー
    • 点心……今野紀昭
    • 村人たち……野中康行
    • 夏の日に……白金英美
    • 目は語る……大木戸浩子
  • 投稿
    • 心に残る言葉 五編
  • 維持会員の名簿・編集後記
  • 表紙絵……菅田篤
  • イラスト……杉本吉武・吉田好晴・馬淵ひろみ・吉田康男・柴田外男・小坂修治

※追悼文を寄稿したのは6名。ここでは、三好の直木賞受賞から15年後、同じく直木賞を受賞した高橋克彦の文を引用する。

「個人的なことを言うなら、三好さんは私の大きな道標でもあった。
 あれは私がデビューして二年やそこらのことだったと思う。柔道家三船久蔵の人生を描いた『琥珀の技』の出版と作家生活十年の祝いの会が久慈市で開催された。私もそれに招かれ、いろいろな人たちの祝辞を耳にしているうち、十年もばりばりの現役でいる凄さを思い知らされた。(引用者中略)いくつかの連載を抱えて毎日へとへとになっている私には、この暮らしを十年続ける自信がとても持てなかった。その持続力の強さにまず驚嘆し、次に十年過ぎてもなお中央の一流出版社(『琥珀の技』は文藝春秋社刊)から書き下ろしの依頼があることの凄さと実力に打ちのめされた。私などたかだか二年。残る八年を書き続ける気力がもしあったとしても、依頼があるかどうかは分からない。作家は読者と出版社あって成立する仕事である。当人の思いなどなんの意味もない。呑気に同席している気分ではなくなった。
(引用者中略)
 もしあの祝いの会での三好さんの晴れ晴れとした顔を見ていなければ、私は道標をそれからも永く見付けられなかったはずだ。忙しさに音を上げ、苦しさから手を抜くようになり、やがては書くことの意味も失い、作家でなくなっていたかも知れない。十年を嬉しそうに噛み締めていた三好さんがあればこそ、私も踏ん張ることができた。私も今年で早や二十五年。三好さんに感謝しないといけない。」

高橋克彦直木賞受賞はデビュー8年すぎ。三好の存在がなければ、その受賞もなかったのかもしれない。

第17回中山義秀文学賞公開選考会

中山義秀文学賞は、選考会が一般に公開される。そのせいか、改めて選評といったものが文章として発表されることがない。

今日平成23年/2011年11月19日、第17回の選考会が、福島県白河市白河市立図書館で行われた。その様子と、各選考委員の候補作評を書き残しておく。

ちなみに、以下の委員の発言は、一字一句違えず文字を起こしたものではない。文責は当ブログのpeleboにある。

第17回中山義秀文学賞公開選考会

…例年、選考会は中山義秀記念文学館の隣にある「大信農村環境改善センター」で行われる。ただ今年は、同文学館が震災の被害に遭ったことなどから、新築なった市立図書館が会場となったらしい。

…会場の多目的ホールには、一般席として約150人ほどの椅子が並べられ、70人程度埋まっていた模様。

  • 13:00 開会(戸倉耕一・中山義秀顕彰会副会長による開会の言葉)
  • 13:10 選考委員入場(観客席から向かって左から、津本陽、竹田真砂子、縄田一男安部龍太郎の順)、選考委員席の向かって左にコーディネーターの人見光太郎着席。

 同時に、一次・二次選考委員を務めた3名、床田健太郎時事通信)、佐藤晴雄(福島民報)、重里徹也(毎日新聞)の各氏が紹介される。

  • 13:20 観客に対して縄田一男からのあいさつ。

…大震災の被災に対して、被災者へねぎらい等の言葉。
「こういう年に中山義秀文学賞が開催できることは、福島県の文化の底力を、日本中にアピールすることになると思います」

  • 13:24 選考会スタート。
  • 13:26 候補作『新徴組』(佐藤賢一)に関する意見が述べられる。
    • 津本「直木賞のときは私は推したのだけど。今度の本は、どうも広いが浅い。今ひとつ目を引くところがない。全体的に進行が少なく、どこか集中する点というか、鮮やかなものが少ない。私はあまり感激しなかった。」
    • 竹田「東京の人間として、これまで影の薄かった新徴組を書いて下さったことは嬉しく思います。ただ前編と後編とで、あまりに書き方や視点が違いすぎています。とくに前編については、読むのにとーっても時間がかかりました。何を言っているのかわからない文章で。翻訳調なら翻訳調でそこを否定するものではないが、これは、とても日本語になっていません。」
    • 縄田「佐藤さんは、海外や、海外と日本が接点をもったものをお書きにすると、すごく出来がいい。この作は、どうも思いつきが先に立ったのではないでしょうか。本来の佐藤さんなら、沖田林太郎ではなく、酒井吉之丞を軸にしていたはずです。西洋的な考え方の持ち主である吉之丞から、幕末の時代を描くというふうに。佐藤さん、今回は視点を間違えたかなと思います。」
    • 安部「後半はとても面白く読みました。負けた側から明治維新史を描いていて、山形の人間のありよう、武士の精神、藩の内情などについてよく描けていると思います。ただ、どうもまわりだけを書いていて、今一歩踏み込んだところが書けていない印象があります。」
    • 津本「それぞれの、読者に対する誘い込み方などはいいと思う。文章として、いいところまで来ています。この人は題材を間違えると、損をする人だと思う。」
    • 竹田「私も、酒井吉之丞を主人公にしたほうがよかったと思います。」
    • 安部「酒井と沖田の新徴組を組み合わせて描いたら面白そうだ、と構想されたのは評価します。明治維新をただ礼讃するような意見に、切り込んでいこうとする志はいいと思います。」
    • 縄田「佐藤さんは最近『ペリー』を書いています。これは、これまでにない新しいペリー像が書けています。来年ぜひ、『ペリー』が候補作になるといい、と思います。」
  • 13:56 候補作『お順』(諸田玲子)に関する意見が述べられる。
    • 安部「とてもスピーディで読みやすい。とくに勝海舟はよく描けていると思います。幕府側の生活者を、生活感をもって、この時代のなかで描いているのは手柄でしょう。難点をいえば、物語が表面をなぞって書かれているところです。今ひとつ人物像が立ち上ってきません。また文章表現も、便宜的に言葉を使ってしまっているところがあって、文学の感興にまで及んでいないと思いました。」
    • 縄田「勝小吉という人物を書くのは、ほんとうに難しいんです。この小説の裏の主人公は、明らかに勝小吉です。彼の影響を受けた娘お順、父親ゆずりの規格外の女、というのが、最初のほうはちゃんと書けていると読みました。ただ、途中からだんだんお順が普通の女になっていってしまっている。」
    • 竹田「お順の魂を、一度はつかんだ小説だと思いました。ただ一番問題だと思ったのは、旗本と御家人の区別がついていないのではないかと思うようなところがある点です。また、江戸の作品なのに上方の言葉がまじってしまっているのも惜しい。最終的にこの作品に好感がもてなかったのは、非常に個人的なことで申し訳ないのですが、私個人が佐久間象山が嫌いだから、なんですね。」
    • 津本「お順というのは本当、謎の女性です。お順が佐久間象山のところに、どうして嫁に行ったのか、よくわからない。この小説でも、その辺のところが一発読者を引き込むように書けているとは思えませんでした。諸田さんという人は小説がうまいから、必ず人物に自分を投入させて書く人だと思うんです。しかし、この小説では投入できていない。迫力が出てこない。お順を理解されないまま書かれたのではないか、とも思います。」
    • 安部「自分と作中人物とに血がつながっていないと、小説にはならないと思います。その点で、たとえばシナリオを書く人や脚本家などが小説を書くと、たしかに物語としてうまく書けるんだけど、人物に自分を托して書けているか、という点で小説になりきっていないものが見受けられます。」
    • 縄田「これは作家にとっての幸不幸でしょうが、諸田さんはどんなものでも器用に書けてしまう人です。諸田さんにお会いすると私などは「諸田さん、もっと苦しんで書いて下さい」と申し上げたりします。作中人物に自分を叩きつけるぐらいの迫力のあるものが書ければ、諸田さんは今よりもっと、すごいレベルの作家になるはずなんですが。」
    • 竹田「お順というのは、読む前までは、もっと進歩的な女性だと思っていたんです、ところがこの小説では、けっきょく男に都合いい女性でしかありません。そこが残念でした。」
    • 津本「この作品は私は認めませんが、諸田さんは、これからもっともっとよくなる作家だと思います。」
  • 14:42 候補作『孤鷹の天』(澤田瞳子)に関する意見が述べられる。
    • 竹田「とにかく分厚い本です。また題名も、あまり面白そうじゃない。表紙を見ても面白くなさそうですし。正直、読むまでは期待していませんでした。ところが読んでみるとスムーズに読めました。架空の人物を一人立てて、この時代を串刺しにしたおかげで、歴史的事件や人物たちがバラバラにならず、小説になっていると思います。完全な現代語で通して書いてくれたのが、この作の成功の要因でしょう。私は読んでいて、60年安保・70年安保・天安門事件と重なりました。」
    • 縄田「前に『本の雑誌』で「縄田の言葉」という記事がありました。私が書いた推薦文をいろいろ取り上げていて、「評論家生命を賭けて推薦する」という私の言葉に対して、「この人は推薦した人が駄目になったら評論家をやめるのか」と書いてあって、私自身爆笑しました。それで私は、『孤鷹の天』の作者に賭けてみたいと思います。処女作にして、これだけ腹をくくって書かれている小説は珍しい。もちろんケチをつけようと思えばいくらでもつけられます。しかしここには、現代の社会に対する作者の怒りが叩きつけられている。「天平版官僚の夏」ともいえます。しかもこれほどのスケール感。ここまでのものを第一作目に書けるのは並大抵ではありません。評論家生命を賭けてもいいと思っています。」
    • 安部「私も面白かった。文章がいい。人物のキャラクターもうまく描き分けられている。現代に紫式部あらわれた、というくらい。こっちもうかうかしていられないなあと思いました。中盤あたりは、もう少し人物を絞り込んでもらいたいなと思いましたが、終盤、群像劇として書かれてきた意味がある程度納得できるように書けています。印象としては韓流ドラマみたいだな、とも思いました。半分はいい意味です。ただ、ドラマが最初にあって、個人の内面をドラマに合わせて書いているようなところも感じました。」
    • 津本「見た目、読まれることを拒否しているような本ですね。でも読んでみたら、エラい小説だった。作家自身のコンプレックスが作品を引き寄せている気がします。小説を書くべくして出てきた人だな、と。最後まで熱情が一本に貫かれています。心をズタズタに切り刻まれた経験のある人がそれを叩きつけた書いた小説は、人を引きつけるものです。」
  • 15:19 四選考委員による採点(各自がどれに何点をつけたかは非公開)。
  • 15:21 採点の集計をもとに、事務局が受賞作を協議。
  • 15:25 受賞作の発表。澤田瞳子『孤鷹の天』と決まる。
  • 15:26 休憩。

…四人の選考委員が各自、文学と関係のある話題を話していく。

    • 竹田真砂子……最近亡くなった、自分にとって大切に思っていた人たち。児玉清さんと小松左京さんのこと。「図書館を使った調べる学習コンクール」優秀賞の「「弔う」ということ―死と向き合って」(岩間優)と出会って感銘を受けたこと。
    • 津本陽……先輩作家たちとの奇妙な出会いについて。中山義秀(「丘の家」が直木賞候補になったときの選考委員)、川口松太郎(自分に剣豪小説が書けると見抜いてくれた人)、松本清張(50歳になって小説を書き始めると長く続けられると励まされた話)、井上靖(バーで一度だけ会って話し込んだ日)、富士正晴(根っからの詩人で、自分はうまく死ぬよと宣言して死んだ人)。
    • 安部龍太郎……『日本経済新聞』に長谷川等伯の小説を連載していることもあり、等伯の生きざまについて。情熱とコンプレックスを抱えた絵描きだった。
    • 縄田一男……児玉清さんのこと。親しくしていても、なかなか最後の一線はバリアを張って、「私」の部分を見せてくれない人だったが、ある日ぽろりと私生活のことを語ってくれた。自分にも心を開いてくれたかと思っていたが、まもなく逝ってしまった。
  • 16:43 閉会

座談会「文学賞を批判する」(『文學界』昭和28年/1953年5月号)

昭和28年/1953年。まだ石原慎太郎による文学賞ビッグバンが起こる前である。

すでに当時、文学賞がどんどん増えて、「その在り方について、ジャーナリズムの方でも、とかくの批評がある」との背景から、文学賞についての発言は各所で行われていた。

そのうち、『文學界』誌が催したのが「文学賞を批判する」座談会。

文學界』昭和28年/1953年5月号(第7巻第5号)

編集人 鈴木貢、発行人 池島信平、発行所 文藝春秋新社、定価百円、昭和28年/1953年5月1日発行
目次

※座談会の出席者は、浦松佐美太郎(司会)、吉田健一臼井吉見奥野信太郎、西村孝次の5名。それと「記者」が同席してクチバシを入れるかたち。話題の中心は、芥川賞。やはりというべきか。しかし直木賞のことにも結構紙数が費やされている。
 いくつかの発言を引用しておきたい。

奥野 僕は、自分の印象で言うとそういうことは通用しないかもしれないけれども、芥川賞直木賞と比べるでしょう、直木賞はともかくとして、芥川賞はもし芥川が生きていたら彼自身に選ばしてみたいんですよ。従って選者も、芥川文学のよくわかる、もしくは芥川が支持するであらう文学のわかる、そういう選者であってほしいような気がするんです。
(引用者中略)
そう言うと、直木賞を落すようで悪いけれども、直木賞はまア大衆文学という広い立場ですからね。芥川賞は、芥川を記念するという意味だと思うんです。芥川というのは好みのうるさい男ですよ。ですから少し狭くなるかもしれないけれども、そのくらいの潔癖さがあってもいいと思うんです。」

 選考委員の顔ぶれが問題だ、という指摘である。

 また、「芥川賞の功罪」も話題にされている。昭和28年/1953年の段階での彼らの意識は「戦前の芥川賞から、戦後になっての変化」というところにある。要は、昔のほうがよかった、みたいなハナシである。おなじみの光景ともいえる。

浦松 芥川賞の功罪はどうでしょう。
臼井 功が多いでしょう。
浦松 どういう?
臼井 とにかく実力ある新人を大勢出している。
浦松 過去においてはね。戦後は?
臼井 戦後はあまりどうも効果がないように思うナ。
浦松 罪はありますか。
臼井 特別、罪があるとは思いませんがね。
奥野 僕はあると思うんです。つまりこれを何となく目指してる人がいるんですよ。
臼井 それはやむを得ないですね。そういう根性の者は仕様がないです。
奥野 戦前はなかったでしょう。」

 今の文学賞を批判し、昔の姿を持ち上げることで、議論が成り立ってしまうこの安定感。

 最後に直木賞についての、このメンバーの言葉を。

浦松 それでは芥川賞はその程度にして、直木賞に行きましょう。今までもだいぶ話が出たんですが、臼井さん、何か御感想は。
臼井 大してないですね。
奥野 この方が気がらくじゃないでしょうか。
浦松 つまり技術的に批評して行けばいいんですからね。銓衡委員も技術的に非常に見識をもった人がお集りですから。
奥野 この顔触見ると、大体これでいいんじゃないですか。
吉田 つまり、みな批評家的作家ですよ。
浦松 そう言えるかね。(笑声)
吉田 少くとも技術については批評できる。そのことを言いたいんですよ。」

 真剣に直木賞のことを語る気ないの、バレバレ……。

 

『週刊文春』第48回(昭和37年/1962年下半期)直木賞紹介記事

週刊文春』は、直木賞の決まる季節には受賞者紹介記事を載せるのが定番である。版元が版元だけに、テッパン記事ともいえる。

この記事の見どころはいろいろある。

  • その時代に、受賞発表はどのように行われていたか。
  • 二人受賞者がいる場合、どちらに比重を置いて記事が書かれているか。
  • 選評では書かれない、選考委員たちによる公式な評価。

などなど。

週刊文春』昭和38年/1963年2月4日号

目次

  • 一流社長が敗れるとき 会社を良くするも悪くするも経営者の責任だ
  • 銀座どぶネズミ作戦 狂暴化する二〇〇万匹に挑む壮烈な夜襲攻撃
  • 直木賞―その夜の酒と涙 サラリーマンと女秘書がみごとかち得た栄冠
  • “やさしい男”東京遁走譜 ぐれん隊防止条例で都会をすてたゲイボーイ
  • “大馬鹿野郎”の履歴書 にっぽん秘録4 安藤明・戦後の“鹿鳴館”設立へ
  • This Week
    • 勲章に色気満々の政府
    • 凋落した海運業の再建
    • 善意銀行へ売込み合戦
    • 麻薬都市の汚名を返上
    • 〈眼〉
      • 東映中堅選手の憤懣
      • 球界―ゴルフ“診断書”
      • 夜間中学生の作文集
      • 二疋目の“泥鰌”を狙え
      • 猫も杓子もプロ結成
      • 海上自衛隊員・南道郎
  • 連載小説
  • この人と一週間 スカートのなかのカメラマン 美女を手玉にとる秋山庄太郎の裸のレンズ
  • ほめる、怒る、叱る
  • 家を建てよう……植田一豊
  • アメリカ発見……西条八十
  • 漫画
  • クライム7 事件の裏窓 その肌は死の招待状
  • 金融相場の「銘柄月旦」(兜町診断書)……沙羅双樹
  • 女給の日記(銀座閨房酒)……井上友一
  • ミス・フランスになった数学教師(世界の事件簿)
  • 三味線にのせた泣き笑い(この場所に女ありて)
  • ホワイトカラー
  • エプロンのポケット
  • 話のくずかご
  • レジャーの窓
  • ピンクコーナー
  • 新聞パトロール
  • 映画パトロール
  • 短歌・俳句
  • 私を探して下さい
  • 〃解答
  • 棋力テスト
  • 読者ジャーナル
  • グラビア
    • 根性を把んだ浅丘ルリ子
    • 人力車の紳士・吉田健一
    • おチャッピイ娘売出す
    • 私はこれになりたかった……藤川一秋

※第48回(昭和37年/1962年下半期)の受賞者紹介記事のタイトルは「フラッシュ 直木賞 その夜の酒と涙 サラリーマンと女秘書がかちえた栄冠」。全4ページ。

「「それでは、杉本苑子さんの『孤愁の岸』と、山口瞳さんの『江分利満氏の優雅な生活』を、直木賞に決定いたします……」
 司会者の発言が終って、二人の新しい作家が、誕生した。
 二十二日。時、午後七時半。
 そのころ、江分利氏ならぬ山口瞳氏は、いきつけのバー、ジョン・ベッグで、水割りのグラスを手にしていた。
 受賞決定のニュースに、酒場の電話が鳴り始めた。それから共同記者会見、テレビカメラの前の騒々しい、まぶしい時間。」

 すでに昭和38年/1963年の段階で、受賞直後に共同記者会見が盛大に行われていたようである。
 ちなみに、この記事では山口瞳のほうが、杉本苑子よりも多くの文面を割いて紹介されていた。

河盛好蔵「文壇クローズアップ 文学賞について」(『小説新潮』昭和37年/1962年2月号)

河盛好蔵は、文学賞ファンにとっては心強い文人のひとり。

なぜなら、文学賞は数が多ければ多いほどよい、という意見の持ち主だからである。

専門がフランス文学だからなのだろう。文学賞大国・フランスの姿を是とする考え方が、その根底にはあるようだ。

小説新潮』昭和37年/1962年2月号(第16巻第2号 新春特大号)

編集兼発行者 佐藤俊夫、定価 金一二〇円(送料二十四円)、発行所 株式会社新潮社

※この号の河盛「文壇クローズアップ」は、「秋声全集の刊行」「外村繁君のこと」「文学賞について」「芸術院新会員」の四つの小見出しが立てられている。「文学賞について」の一節より。

「フランスには、とくに若い人たちを対象にした文学賞が少なくない。必ず新人に限ることを指定したり、受賞者の年齢を制限したりして、できるだけ若い人たちを表彰しようと努力している。有名なゴンクール賞などは、新人である上に、貧乏であることという条件までついていた。そのためにプルーストが候補にあげられたとき、彼は金持だからという理由で反対する審査員がいたことは文壇史の一挿話になっている。
 私は文学賞というものはいくらあってもかまわないと思っているから、我と思わん出版社はぞくぞくと文学賞を出すがよいと思う。そして、審査員を思いきり若くして、彼らが支持する、むしろ将来に望みのある新人に賞を出すようにしたら、文壇も大いに活気づくのではあるまいか。そしてその賞金は、それだけで二、三年遊んで暮らせるような巨額なものであれば一層によろしい。もっとも、そうなると、審査員のあいだで賞のたらいまわしが始まるかもしれないが、いずれにしても、文学賞が文壇功労賞となっては面白くない。」

 まったくまったく。

笹森貞二「私と津軽書房」(『年輪』所収)

青森の出版社、津軽書房が15周年を迎えた昭和54年/1979年、『年輪』というエッセイ集が出された。

同社に関わりの深い人たち28人と、社主・高橋彰一が15年を振り返って原稿を寄せている。

平井信作、佐藤善一、長部日出雄、左館秀之助と、直木賞候補者(および受賞者)4人がそこに加わっていて嬉しい。

『年輪―津軽書房十五年―』

編者 千葉寿夫、発行所 津軽書房、頒価九五〇円、昭和54年/1979年8月4日発行
目次

  • 魂の伝道者……小野吾郎
  • 寸感……今泉幹一郎
  • 東京時代……工藤英寿
  • 本町坂のころ……荒井秀実
  • 草創期のことなど……山田尚
  • 回想……高木恭造
  • 乙乙録……小野正文
  • 本・金・酒・女……藤田龍雄
  • 高橋さんのこと……上岡悦子
  • あこがれ……黒田朋子
  • 肉、食えるんだぞ……泉谷明
  • 高橋彰一頌……泉谷栄
  • 走れ 高橋さん……斎藤せつ子
  • 艶笑譚と津軽書房……平井信作
  • 不思議な魅力……藤沢美雄
  • 元服……佐藤善一
  • 容貌魁偉……工藤与志男
  • 津軽書房と民話……北彰介
  • 継続は力なり……長部日出雄
  • 津軽根性書房との間……庄司力蔵
  • 不義理と夢と……左館秀之助
  • 私と津軽書房……笹森貞二
  • 「絵葉書」の高橋さん……赤石宏
  • 処女出版……鳴海裕行
  • 雑感……久藤達郎
  • 高橋と両親……千葉寿夫
  • 十五周年のよろこび……横山武夫
  • 本造りに憑かれた男の話……相馬正一
  • 十五年間……高橋彰一
  • 津軽書房出版総目録
  • あとがき
  • 題字……横山武夫

※うち、弘前市教育長を務めた笹森貞二の「私と津軽書房」から引用する。笹森は津軽書房から『教育長日記』を出版、短歌や俳句に興味をもち、高橋彰一の編集する同人誌『心象』に参加した。その彼が、直木賞芥川賞について語っている。

「お世辞でなく言えることは、彼(引用者注:高橋彰一)はさすがに文士を志して上京しただけに、明治大正から現代に至るまで、東西の文芸に通じ、しかも、批評眼が冴えていることであると思う。
 長部日出雄の『津軽世去れ節』が直木賞を射止めたのも、平井信作の『生柿吾三郎の税金闘争』、小田原金一の『北辺の嵐』が直木賞候補にあげられたのも、彼はその値打を評価して出品したためかと思う。
 直木賞にしても、芥川賞にしても文章を書くものとしては一度は受賞してみたい魅力がある。しかし高橋氏は一向に私の文章などは何の賞にも出品しようとはしない。高橋氏の目には、私などまだまだ幼稚に見えるからであろう。残念だけれど、高橋の目はそれだけ肥えている。
 太宰治ではないが、どうか私に芥川賞を下さいと川端康成に書翰を送ったように、私も高橋氏にどうか何賞でもよいからつけて作家の仲間に入れて下さいと言おうかと思ったりする。しかし古稀の齢を過ぎて何ですかと高橋氏ににたにた笑われるのが何ともはや、いやなことである。」

 ちょっとした勘違いが含まれているようにも思うが、洒落なのかマジなのか。判然としない。

『オール讀物』の直木賞受賞者による自伝エッセイ一覧

直木賞の発表媒体は文藝春秋の『オール讀物』である。

発表号には、受賞のことば、選考委員による選評が載るほか、昭和30年代40年代ごろからは受賞作(全文掲載か、抄録)が掲載されるのが通例となった。

また、その他、受賞者にまつわるいくつかの記事が載る。

現在では、受賞者による自伝エッセイ、ゆかり深い人との対談、も併載されるのが一般的。ただ、こうなった歴史はそれほど古くない。

以下、『オール讀物直木賞発表号に、受賞者の自伝エッセイが定常的に載るようになった第95回(昭和61年/1986年上半期)以降の、関連記事一覧をまとめた。

ちなみに「自伝エッセイ」を採用しはじめたのは、藤野健一・編集長のときからである。

注)「自伝エッセイ」は、「受賞者が語る直木賞受賞までの軌跡」という副題が付くのが普通だが、ときおり「受賞者が綴る直木賞受賞までの人生」と付けられたことがあった。一覧では、以下の略称で表す。
 【自伝・語】自伝エッセイ―受賞者が語る直木賞受賞までの軌跡
 【自伝・綴】自伝エッセイ―受賞者が綴る直木賞受賞までの人生
注)第94回(昭和60年/1985年下半期)は、受賞者による受賞第一作が載っていた。ただ、森田誠吾林真理子とも、受賞にいたるまでの私小説的な内容の短篇だった。

昭和61年/1986年

昭和62年/1987年

  • 4月号(第96回)
    • 逢坂剛「しばし、ふらめん考」(自伝エッセイ)
    • 常盤新平「“晩稲ソルジャー”駆けつけの記」(自伝エッセイ)
  • 10月号(第97回)

昭和63年/1988年

  • 4月号(第98回)
  • 10月号(第99回)
    • 西木正明「放蕩放浪の果てに」【自伝・語】
    • 景山民夫「怪屋の怪人」【自伝・語】
    • 西木正明×景山民夫「新直木賞作家大いに語る 小説の冒険家をめざそう」(対談)

平成1年/1989年

  • 3月号(第100回)
    • 藤堂志津子「さようなら、パブリックセンター」【自伝・語】
    • 藤堂志津子「「おめでとうございます」の知らせに、一瞬、頭の中は真っ白。」(賞前賞後ダイアリー)
    • 杉本章子「曲がり角の男」【自伝・語】
    • 杉本章子「夢中で書きつづけること。賞に応える道はこれだけだ。」(賞前賞後ダイアリー)
  • 9月号(第101回)
    • 笹倉明「ねばり腰で二つの賞」【自伝・語】
    • 笹倉明「受賞はマラソンの折り返し点。残り二十キロをどう走るか」(賞前賞後ダイアリー)
    • ねじめ正一「シャレ帳と店番のあいだで」【自伝・語】
    • ねじめ正一「もっともっと「わからない」モノ書きにならなくては……」(賞前賞後ダイアリー)

平成2年/1990年

  • 3月号(第102回)
    • 星川清司「幸運と不運が綯い交ぜで」【自伝・語】
    • 星川清司「候補になっただけで、もうこのうえなしの心もちだったのに…」(賞前賞後ダイアリー)
    • 原〔リョウ〕「ある男の身許調査―渡辺探偵事務所のファイルより―」【自伝・語】
    • 原〔リョウ〕「記念にセロニアス・モンクのプレステッジ原盤を購入、甚だ高価なり」(賞前賞後ダイアリー)
  • 9月号(第103回)
    • 泡坂妻夫「上絵師になるまで」【自伝・語】

平成3年/1991年

  • 3月号(第104回)
    • 古川薫「最多候補・最高齢の完走」【自伝・語】
    • 白石一郎×古川薫「直木賞受賞の瞬間」(特別対談)
  • 9月号(第105回)

平成4年/1992年

平成5年/1993年

平成6年/1994年

  • 3月号(第110回)
  • 9月号(第111回)

平成7年/1995年

  • 3月号(第112回)…受賞作なし
  • 9月号(第113回)

平成8年/1996年

  • 3月号(第114回)
  • 9月号(第115回)

平成9年/1997年

  • 3月号(第116回)
  • 9月号(第117回)
    • 篠田節子「ジャンルを超えた作家でいたい」(インタビュー聞き手:星敬)
    • 浅田次郎「かくも長き愉悦のボツ人生の末に」(インタビュー・構成:編集部)

平成10年/1998年

  • 3月号(第118回)…受賞作なし
  • 9月号(第119回)
    • 車谷長吉「九年間の世捨人生活が鍛えた「小説への覚悟」」(インタビュー・構成:編集部)
    • 高橋義夫×車谷長吉「作家稼業はやくざ剣法」(特別対談)

平成11年/1999年

平成12年/2000年

平成13年/2001年

  • 3月号(第124回)
    • 山本文緒「愛憎のイナズマ」【自伝・語】
    • 山本文緒「一生、恋愛心理を書いてゆく」(インタビュー・構成:浜野雪江)
    • 重松清「「早稲田文学」のこと」【自伝・語】
    • 重松清「いつだってテーマは人とのつながり」(インタビュー・構成:編集部)
  • 9月号(第125回)
    • 藤田宜永「母親の顔」【自伝・語】
    • 小池真理子×藤田宜永「「あなたといることで、私は私を知ったの」「あの時でも、別居なんて考えもしなかった」」(記念夫婦対談)

平成14年/2002年

  • 3月号(第126回)
  • 9月号(第127回)
    • 乙川優三郎「残したい情景、残したくない自分」(インタビュー・構成:編集部)

平成15年/2003年

  • 3月号(第128回)…受賞作なし
  • 9月号(第129回)
    • 村山由佳「変わりながら変わらずにあるもの」(インタビュー・構成:編集部)
    • 石田衣良「一九九六年四月、牡羊座の運勢は」(インタビュー・構成:編集部)

平成16年/2004年

  • 3月号(第130回)
    • 江國香織「恋愛は無敵だと書きたい私としては」(インタビュー・構成:編集部)
    • 京極夏彦「やっぱり、日本的なものが好きなんです」(インタビュー・構成:編集部)
  • 9月号(第131回)
    • 奥田英朗奥田英朗がドクター伊良部を訪ねたら」(記念架空対談)
    • 熊谷達也「わがままであまのじゃく」【自伝・語】
    • 熊谷達也×大滝国吉「山の神さまに感謝を捧げて」(記念対談)

平成17年/2005年

  • 3月号(第132回)
    • 角田光代「書くこと、旅すること」【自伝・語】
    • 角田光代「幾人もの手が私をいくべき場所へと運ぶ」(旅のエッセイ傑作選)
    • 長嶋有×角田光代「通じない言葉のいとおしさ」(記念対談)
  • 9月号(第133回)

平成18年/2006年

  • 3月号(第134回)
    • 東野圭吾「楽しいゲームでした。みなさんに感謝!」【自伝・語】
    • 京極夏彦×東野圭吾「読者サービスに終わりはない」(記念対談)
    • 千街晶之「全58作品「東野ワールド」読書案内」
  • 9月号(第135回)

平成19年/2007年

平成20年/2008年

平成21年/2009年

平成22年/2010年

  • 3月号(第142回)
    • 佐々木譲「卵の殻のむけるまで」【自伝・語】
    • 逢坂剛×佐々木譲「書くことは、いっぱいある」(記念対談)
    • 白石一文「何もかも全部、小説のせい」【自伝・語】
    • 久田恵×白石一文「編集長になりたかった」(記念対談)
  • 9月号(第143回)

平成23年/2011年

  • 3月号(第144回)
  • 9月号(第145回)